当社の経営理念は、施設(ハード面)の大きさで日本一を目指すのではなく、ソフトの面で日本一を目指しています。スローガンは「日本一会員に愛されるスポーツクラブを目指す」としており、そのため各部門に実績と経験を備えた一流のチーフ人を揃え、プロのインストラクター育成を図っています。スタッフ研修では時間・予算を費やし、指導力の向上に努める一方、社員のモチベーションアップを図るため、同業他社には真似のできない当クラブ独自の能力レベルに即したシステムを構築しています。
 会員に信頼される、そして歓喜されるインストラクター育成が、しいては会員満足度の向上になり、「日本一愛されるスポーツクラブ」につながると信じています。
 
スポーツクラブの会員満足度は、退会率で判断できると言っても過言ではありません。退会率は施設やスタッフの会員皆様へのサービス満足度を表すバロメータであり、全国のチェーン展開しているクラブで成人会員退会率は約5%、非チェーン展開クラブでは約7%と言われている実情の中、当社は開業当初より、会員数は増加する一方、退会率は着実に減少し、近年では1%台という業界では考えられない数字を達成いたしました。各スタッフの努力や成果が会員満足度の向上につながり、信頼関係を得られていると考えております。


本籍 富山県高岡市

経歴 富山県内のスイミングスクールからスポーツクラブを転々とし、水泳指導に情熱を注ぎ、これまでに4名の日本ランキング入りの選手を育成、その後マネージメントの職に就きながら水泳指導も兼任する。そのこれまでの実績などから地元の数多くの有力者からの資金援助を受け95年にトータルスポーツ株式会社(現、株式会社オーパス)を設立する。国内では初のフィットネスクラブのベンチャー企業である
競技歴 富山県中学水泳選手権
400m、1500m自由形 優勝
富山県選手権(年齢無差別)
100m自由形 2位
ホノルルマスターズ
50mバタフライ 3位
賞罰 94年 海水浴場にて溺水による学童を人工呼吸を施し救助、高岡警察より感謝状を受ける。
保有資格 日本体育協会公認 上級水泳教師
日本体育協会公認 上級水泳コーチ
昭和50年3月 国立 七尾海員学校高等科航海課卒業
昭和50年4月 飯野海運株式会社入社

外国航路部で甲板員として約6年間世界中を航海した。

昭和56年6月
飯野海運株式会社退職
昭和56年6月
高岡スイミングクラブ、スイミングコーチとして入社

当地、高岡では初のスイミングクラブであり、そのクラブの代表からスカウトされてスポーツの世界への転職のきっかけとなった。

昭和57年4月
高岡スイミングクラブ退職
昭和57年4月
カタダスイミングクラブ設立

市民プールを借りて独立、当初4人の生徒からスタート、口コミで最終的に100名の生徒数になる。

昭和58年9月
カタダスイミングクラブ解散
昭和58年9月
ジャパンスイミングスクールへ入社

カタダスイマーズの生徒100名も一緒に入会。

昭和63年3月
ジャパンスイミングスクール退職
昭和63年9月
スポーツドームエアーズ、スイミングチーフとして入社
平成 3年4月
スイミングチーフとフィットネスチーフの兼務となる。
平成 4年5月
スポーツドームエアーズ退職
平成 4年6月
メドウスポーツクラブ、スイミングチーフ兼支配人として入社
平成 6年6月
メドウスポーツクラブ退職
平成 6年8月
トータルスポーツ株式会社設立
平成 19年11月

株式会社オーパスに社名変更する。

現在に至る。


本籍 愛知県豊橋市

経歴 これまで3名のエアロビック世界チャンピオンを育成。95年には日本チームのコーチ兼キャップテンとして世界大会に望み、トリプルズで優勝、96年ペア部門でも世界チャンピオンに輝く。当時、初めて形田社長と対面した時、現在のスポーツクラブで行っているエアロビクスの問題点について共感し、オーパスのエアロビクスチーフを受託した。
競技歴 スズキジャパンカップ全部門優勝
92年 スズキワールドカップペア優勝
93年 スズキワールドカップシングル準優勝
94年 スズキジャパンカップシングル 優勝
95年 スズキワールドカップトリプルズ 優勝
95年 スズキワールドカップトリオ 優勝
96年 スズキワールドカップペア 優勝
01年 スズキワールドカップトリプルズ 出場
01年 ワールドゲームストリオ出場
保有資格 (社)日本エアロビック連盟 中央講師
日本体育協会公認 上級エアロビックコーチ
愛知県エアロビック連盟 副理事長